大変だったな~あの時は、、、。

きのう、ふじみ野駅前にある銀行に用足しに行き、クルマにもどろうとすると誰かがボクの名前を呼んでいます。
振り返ると、Ki HOUSEのクライアンントのKiさんでした。
Kiさんとはほんと久しぶりです。
出勤前とのことで数分の立ち話でしたが、Kiさんは元気そうな様子、住宅の改装もしたいので相談にのって欲しいとの事。
逆にボクのことを心配され、頑張ってくださいと励まされてしまいました。

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毎年この時期になるといつもKi HOUSEのことを思い出してしまいます。
それはもう12年前。
Ki HOUSEを請負っていた施工会社F社が暮れに倒産してしまったのです。
F社は以前、別のクライアントの紹介の施工会社で、以前にもF社には1軒コンクリートの住宅を請負ってもらったことがあり、まじめな社長のよい会社でした。
そんな経緯でKi HOUSEも請負ってもらったというわけです。
10月に着工したのですが、鉄骨建て方が終わった12月から、現場に職人が入りません。
何度も何度も催促をしていたところ、社長が電話口で「もうダメです。」と悲痛な声、、、。
倒産でした。
早速、F社長立会いの下、代理人の弁護士事務所に出向き、Ki HOUSEの契約解除を申し出て、現状の現場を建て主の所有にする手続きを済ませました。

まじめで人柄の良いのと、会社の経営とはまったく別物だということを思い知らされた出来事でした。

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それからが大変です。
相見積もりをして、工事費が安かったF社だったので、同じような金額で残りの工事を引き受けてくれる施工会社などありません。
お金もない、引き受けてくれる業者もない、現場は工事の途中、クライアントは期限付きの仮住まい、、、。
そんなどうにもならない状況を打破するために、ボクは直営で工事を進めることを決意しました。
鉄骨は建ち上がっているのですが、基礎も土間もまだ出来ていません。
まずは鉄骨柱の柱脚を固める地中梁からやらなければなりません。
地中梁の配筋こそ鉄筋工にお願いしましたが、土間配筋やコンクリート打設は事務所スタッフと力を合わせて、自分達で施工しました。
ハッカーを使って結束線で鉄筋を固定する作業もマスターしました。
外壁はアスロック、外壁工事の前に足場を組みなおさなければなりません。
これがまた大変でした。
ラチェットレンチを借りてきて、建物外周の足場をすべて組みなおしました。
それから鉄骨アングルの取り付けやエキスパンドメタルのスクリーンの取り付けなど、かなりの電気溶接もこなしました。
改めて上向き溶接の難しさを知ることにもなります。
それらの構造体の工事は3月に行われていました。
現場には毎日行き、毎日はじめに片付け、掃き掃除をするように心掛けました。
倒産した会社の現場となめられるのが悔しかったですし、現場をきれいに整理整頓し、工事に協力してくれる職人さんが気持ちよく仕事が出来る環境にしておきたかったのです。

そのほか、サッシ、外壁まわりのシール、家具作り、クリーニングなどなど、東洋大学の学生たちにもいろいろと手伝ってもらい、やっとのことで4月末に完成することが出来ました。

現場で使用した3つ目の皮手袋もボロボロ、ヘルメットも傷だらけ、、、。
まさに体当たり?の家づくりでしたが建物はなんとか完成し、辛く苦しかった分だけ感動もひとしおでした。
テレビに登場する「匠」なんていう甘い世界ではありません。

このKi HOUSEはプラン的にもデザイン的にも、そして構造的にも新しい試みをしていて、建築雑誌(日経アーキテクチャ、建築知識など)にも取り上げてもらいました。
これはボクにとっては嬉しく誇らしいことです。

この時期はプライベートでも、1人で生きていくことを決めた時期でもありました。
大変な出来事はかさなるものです、、、。(苦笑)
そんな大変な時期を乗り越えられたのは、信頼できるスタッフ、理解あるクライアント、協力してくれた方々、そして子供達がいてくれたからなのでしょう。

2度と経験したくない出来事ですが、貴重な体験であったことも事実です。

3月は毎年12年前のこの時期のことを思い出してしまうのです。

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by hosoya_isao | 2010-03-08 20:03 | Comments(0)